陽水の駅舎友人帳

劣等高校生の日常。電車通学。気分で更新。ふとんって気持ちいですよね…

ムダは無駄だけど無駄じゃない

さて。このブログを始めてもう少しで一年経ちますが、もう正直に言っちゃうとブログに書くネタがございません。というのも進級してから、担任の先生がI先生からS先生に変わってから、面白いぐらいにそっけない毎日と化したからです。まずSHRの短さ。もうショートどころでなく瞬足レベル。前みたいに先生のコメントもない。一年前高校入学したてだった頃は、というか去年は担任の先生との絡みがここまで薄いの学生生活で初だわ…とか思ってたんですよ。

今年はそれをはるかに上回る。

本当にこれこそ失ったからわかる痛みって感じですよね。それっぽっちで痛いとかお前の神経麻痺してんだろコノヤローとか将来これ見て突っ込んでるんでしょうね。数甲(C組担任)のK先生が数学の時間に漏らしていたことですが、この学年は全然笑ってくれないとT先生から言われたらしいのです。でもそりゃそうですよね、納得しましたよ。笑わせようにも大事なもの捨ててきてしまったんですもん。東野圭吾の「聖女の救済」の出てくる話を例に挙げると、かつて恐竜の化石が発見された場合、学者たちは骨しか残さずに周りの骨を捨てていました。でも2000年にとある研究グループが土も含めて周りを全てCTスキャンしたら、生きていた時の形をそっくりそのまま残して臓器や心臓といった組織が3次元画像として発見されたわけです。つまりですね、無駄といって省いてきたものの中に本当に大事なものがあったんですよ。もちろん先生方を批判してるつもりはないです、でも一つ言えるのはI先生が一番先生らしい先生だってことだと思います。無駄が本当に無駄だと言い切れるわけがない。これは本当に色んな人に伝えたいことです。

というわけでそんな毎日の中でわざわざ今日ブログを開いたのはなぜか。

答えは単純。一年前と似た興奮を今日味わったからです。

時は5限。お昼を食べてうたた寝したくなるようなぽかぽかとした空間で、現代文。しかも次は体育な上に、さらにその後英乙の小テストが控えているのでなんとも微妙な感じ。今日の授業はざっくり言っちゃうと和歌でした。まぁ、歌会始についての説明があった後、6首ぶんの説明があったわけです。サーっと解説されただけなんですけど、一年前に初めて現代文の授業受けた時のあの衝撃を今日も感じました。

こんな授業受けたことないわ。

別にI先生をリスペクトするつもりはないけれど(私がリスペクトするのはNくんだけですから)、授業動画撮りたくなるぐらい衝撃を受けるのはやっぱり現代文が圧倒的に回数多いわけでして。本日は4度目かな。

1回目は初回授業。2回目は現代日本の開化。3回目は大学は無駄だと思われる…(以下略)の授業。そして今日が4回目。動画撮れないなら録音したいです。