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陽水の駅舎友人帳

劣等高校生の日常。電車通学。気分で更新。その下巻は大変素晴らしい本でした。

コタツに入ると出られない

本日ハレ。土曜日ですが今日は学校お休みです。

さて、そんな土曜日に自分がすべきことは進路選択。前回の予備調査では親と散々口論になって腫れた目を抑えながら学校に向かった記憶しかありません。もう本当に嫌だった。そんなことがあってから数日後、さらに怒った父からの一言。

「お前医学部行かないなら学校やめろ」

強烈ですよ。親にとっちゃあ投資にすぎませんし、将来飲み込めないものに投資するなどお金をドブに捨てるようなもんですからそうなりますよね。反論したかったですが入った瞬間明日は保障されませんので堪えました。ただですね、1つだけ…本当に1つだけでいいからどうしても言いたかったんです。医者になることが全てじゃないでしょう?って。じゃあ医者になってない人が全員不幸?生活していけない?死ぬ?親の気持ちも分からなくもないことは認めますが、他の人たちを全否定できるほどの生き方ですか?って言いたかった。だって人は所詮自分の生きた人生のことしかわからないんですもん。人の人生を知るわけがありません。夫婦でさえ知らないことあるんですよ?誰がわかるんだよ…

しかしですね、私の生きがいは学校なんですよ。学校に行って授業を受けて友達と勉強して話して…それが楽しくて生きてるようなもんなのにそれを奪われたらどうしようもありません。だから親の提示した条件は飲み込むことにしました。

それ以来学校に行くたびに、着くたびに、授業を受けるたびに、友達に会うたびに、先生に会うたびに、幸せだよな…とつくづく思います。お金を稼ぐわけでもなく食を心配することもなく考えられるし、友達とも笑っていられる。好きな本の話もできるし、文化祭の話もできる。家に帰ればあったかいご飯もお風呂も布団もある。自分は何も苦労していないのにこんなにいい生活が送れている…なんて贅沢なんだろうかと本当に感じます。これを失ったら果たしてどうなるんだろうかと考えるとゾッとします。

1人で生きて行かなくてはいけなくなった時、何が必要か。働くにしても雇ってもらう時にどんな人間かを示さなきゃいけないと思うんです。でもいくらいい人でも、仕事が早い人でも、証拠がないし知ろうと思っても時間がかかる。クラスもいい例ですけどその人の良さってすぐには見抜けないんです。だからこそ資格というものが存在すると思うんです。それで自分にできることを考えて見ました。するとこうなりました。

風呂掃除。洗濯。皿洗い。布団敷き。タイピング。ノートをまとめる。

 

思ってた以上に少なかった。本当に何もできない…人をまとめるだけの力もないし、絵も模写かアレンジぐらいしかできません。唯一できるような分析もアニメやマンガといった部類のみ。物作るのは好きだけど得意ではないし、人を笑わせるのもそこまで得意ではない。結局のところ自分のできることそんなになかったんです。そこまで来てやっと気付きました。別に医学部に行くから医者になるとは決まってないじゃないかと。国家資格を目指すぶんにはいいんじゃないかと。やすやすというなよお前、ってなりますけどそう考えるだけで気が楽になりました。これならば患者さんにとっても診察を望まない医師が誕生するわけでもないし、自分はまだ選択の余地ができるし、あとで悩んでも別に道を選べるだけの余裕があることになります。だから…自分は親の言う通りに志望学部を書くことにしました。今回はちゃんと自分の出した結論です。これならば後悔もないはず。

 

そんなわけで今日は宿題を途中で投げ出しコタツに入りながら考え事ばかりした挙句寝落ちを繰り返してました。

結局何が言いたいか。全部自分の頭で一旦考えろということ。反対意見を受け入れないにしても自分で考えることで納得できることはあるはずだということ。そして反対意見にこそ言分けしかできていない何かを身分けできるチャンスが入っているということ。でも本当に言いたい一言は違います。

1番言いたかったのはですね…

コタツ最強ってことです!